地域とともに110年、農機販売から農業・地域の活性化へ

Future Leaders

 
     
 
山本 泰弘

山本農機販売株式会社

​代表取締役社長

 

1978年、栃木県佐野市生まれ。1998年に専修大学・北海道短期大学を卒業後、ヤンマー学院長期研修生講座を受講し、翌年山本農機販売株式会社へ入社。専務取締役を経て、2019年代表取締役に就任。

農機の老舗が語る、100年企業の秘訣

佐野市に本社を構える山本農機販売株式会社は、大正時代から続く農業機械のプロフェッショナルである。大正2年に「山本農蚕具店」として創業し、農業の発展に合わせて農業機械の販売・メンテナンスへと事業を展開して行った。今回、五代目として代表取締役を務める山本氏にお話を伺った。

2013年には創業100周年を迎えた山本農機販売。ここまで続いた秘訣として、「業種を変えるなどの大きなシフトチェンジをせず、先代からの事業継承がうまくできているからこそ続けてこられた」と山本代表は振り返る。

地元生産者の信頼できるパートナーとして事業を続ける中、時代の需要に合わせた変化には積極的だ。これまでの農機販売に加えて「ロボット芝刈機」の取り扱いも開始した。高齢化やライフスタイルの変化に伴い、省力化・効率化のニーズが高まる中、手作業での負担を大幅に軽減できると注目を集めている。「労働力削減やコストパフォーマンスの面で喜びの声も多い」と山本代表も笑顔を見せた。

オフィス外観

幼少期から積み重ねた会社への思い

幼少期から会社に遊びに来ていたという山本代表。日常の中で会社が成長していく姿を目にし、自然と会社を継ぐことを意識し始めた。10代前半には一度別の未来を考えたこともあったが、祖父が亡くなった際、その思いが転機となり、この道を進むことを決意した。高校卒業後は専修大学北海道短期大学(農業機械科)にて農業機械について専門的に学んだ。大学を卒業後も、ヤンマーが主催する後継者育成講座を受講するなど、地元農業を支えるための知識と経験を積み重ね、1999年に山本農機へ入社した。

そして迎えた2019年、山本代表が代表に就任して間もない頃、栃木県内は台風19号による甚大な被害を受けた。農業は、天候による被害が生産に直結する産業。山本代表も、被災した生産者の方々への協力に奔走したという。この時期を振り返り、山本代表は「代表としての責任の重さを強く実感した出来事でした。それでも、生産者をサポートする立場である私たちの被害が比較的小さかったことは本当に幸運だったと思います。」と語った。山本代表は生産者を支える立場としての使命感をさらに深め、地域農業を守るための取り組みに一層力を注ぐようになった。

 

老舗だからこそ得られる安心感を地域に還元

110年続く老舗企業として、地域社会への貢献も欠かさない。佐野市では、熱中症対策として危険な暑さから身を守り、誰でも自由に休憩を取れる市有施設を「クーリングシェルター(指定暑熱避難施設)」として一般に開放している。2024年、山本農機販売は民間施設で初めて「クーリングシェルター」として指定された。また、数年前から「まちの駅」としても登録をし、地域住民同士の出会いや交流を促進する施設としても展開。山本代表は「市民の皆さんが安心して気軽に立ち寄れる場所となってほしい」と語った。

長い時代を地域とともに発展してきた山本農機販売だからこそ、地域住民の方の安心感も大きなものだろう。今後もまちづくりの拠点となり、地域社会に寄り添いながら新たな価値を提供し続ける存在として、これからもその役割を果たしていく。

 

消費者にも理解してもらいたい農業の価値

山本代表は、農機販売・修理、そしてロボット芝刈機の取り扱いにとどまらず、さらに地域に貢献するための取り組みに意欲を見せている。その一つが、地元農業のさらなる発展の手助けだ。農業機械を通じたサポートに加え、地元農家と連携し、農産物の宣伝や販売にも注力していきたいという。

「微力ながらではありますが、こうした活動が地域全体の農業発展につながると信じています。生産者同士のサポートではなく、同じ業界に身を置く私たちだからこそできる取り組みで、地域の発展が結果として私たち自身の成長にも還元されると考えています。」

また、農業全体の発展には消費者の理解も必要だと続けた。「お米の価格高騰が何度も話題に上がりますが、消費者のみなさまには『価格』だけでは語れない食べ物の価値を、改めて考えてほしいと思います。」安心して食べられる安全な食品が手元に届く背景には、多くの農家の方々の努力と情熱がある。こうした目に見えない価値の理解が、農業全体の明るい未来につながっていくのだろう。「農業が明るいと日本が明るい」と山本代表は語った。

110年という長い歴史を刻んできた山本農機販売。その経験と信頼を基盤に、地元とともに業界の未来を担う新たな挑戦が始まっている。