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1955年11月29日、東京都大田区生まれ。日本大学農獣医学部(現・生物資源科学部)農学科卒業。ランドスケープアーキテクト、生物学講師、ガーデンプランナーとして多方面で活躍。一級土木・造園施工管理技士、監理技術者、樹木治療師、庭園アドバイザーなど多数の資格を保有する。
栃木県を拠点に造園設計、ランドスケープデザイン、樹木管理を展開する有限会社コマセランドスケーププランニング。代表の駒瀬氏は、一級造園施工管理技士や樹木治療師といった高度な専門資格を網羅するプロフェッショナルだ。駒瀬氏の特異性は、12年間にわたり生物学講師として教壇に立ち、科学的な眼差しで環境を捉え続けてきた異色の経歴にある。彼が描く図面は単なる空間の装飾ではない。それは生物学的な根拠に基づき、人間と自然が永続的に共生するための「環境条件」を整える設計行為である。かつて高度経済成長の影で失われていく自然に違和感を抱いた少年が、アントニオ猪木譲りの「闘魂」を旗印に次世代へバトンを渡そうとする情熱の源泉がここにある。駒瀬氏にとってのランドスケープとは、単なる視覚的な美しさの追求ではなく、生命が存続するために整えられるべき「条件」そのものである。12年に及ぶ講師生活で学生たちに語り続けてきたのは、知識の伝達だけではなく、行動の火種を渡す行為であった。生物学を基盤に生息環境の保全を考え、その延長線上としてランドスケープの道を選択したのである。装飾としての緑ではなく、環境条件を整えることで得られる具体的な成果を追求する。一人の小さな行動が自然への理解と共生意識を育み、それを積み重ね連携することで快適で豊かな環境を構築できる。それこそが駒瀬氏の提唱する「環境を守る心」の真髄だ。

駒瀬氏の思想の根底には、幼少期に過ごした「公害世代」としての鮮烈な記憶がある。1950年代から60年代、東京都港区や大田区で過ごした日々だ。成長の影で空が濁り、水が汚れ、自然が「犠牲」として切り捨てられていった時代。駒瀬氏は「空の色を黄色く描いてしまうほどだった」と回想する。光化学スモッグ注意報が鳴り響き、校庭で同級生がバタバタと倒れていく日常で社会が「便利さのためには仕方がない」と冷ややかに語る中で、子ども心に抱いたのは深い不条理感であった。
「なぜ人の健康や美しい自然と引き換えに、便利さを選ぶのか」根源的な問いに明確な言葉にはできずとも、その原風景に刻まれた痛みこそが、彼を生物学、自然保護、そしてランドスケープの道へと突き動かす最初のきっかけとなった。自然は声を上げず、壊されても抗議もしない。だからこそ、人が代わりに考え、守らなければならないという使命感だ。この思いは単なる理念ではなく、時代を生きた実感から生まれたものだった。

大学で生物学を修めた後、駒瀬氏は造園とコンサルタントの世界に足を踏み入れた。当時「日本一」と称された大規模なランドスケープ設計事務所や工事会社に身を置き、最前線でキャリアを蓄積。2万8千本もの植栽を伴う巨大プロジェクトや、有名テーマパーク、大規模リゾートの計画に従事し、その手腕はヘッドハンティングされるほど高く評価されていた。しかし、組織の中で効率と経済性が優先される大規模開発を目の当たりにし、再び「違和感」と向き合うことになった。個人の設計者として責任を取り、自分の言葉で自然と対話する道を選んだのである。
40歳での独立当初、東京に営業の拠点を置き、大手の設計事務所と連携した。県庁舎の移転計画や石ノ森萬画館、ラムサール条約登録記念碑設計コンペで思い描いた景が選ばれるなど、公共性の高いプロジェクトを完遂してきた。彼の仕事の真骨頂は、造園という造形技術に生物学という科学的アプローチを高度に融合させている点にある。象徴的なエピソードは、甚大な被害をもたらしている特定外来生物「クビアカツヤカミキリ」との闘いだ。800年の歴史を誇る浄土宗の古刹において、貴重な樹木を守るための孤独な作業を行っている。クビアカツヤカミキリはサクラ等のバラ科の樹木をターゲットに一匹のメスが数百個の卵を産み、幼虫が木の内部を食い荒らして枯死させる恐ろしい害虫だ。この内部からの破壊に対し、ボーベリア菌など最終的に昆虫を死に至らせる寄生カビ(糸状菌)を用いた生物学的予防を駆使し、いかに防除するか試行錯誤している。薬剤散布、消毒の際、一度に13匹もの巨大な成虫が樹木から落ちてきた驚愕の光景は、彼に恐怖と隣り合わせの真剣勝負を突きつけた。環境は「背景」ではなく、生命が存続するための「条件」である。環境破壊への対応は単なる補完手段ではなく、人間活動を生態系の枠組みの中にいかに「組み替えるか」という高度な設計課題なのだ。

※ 2023年国際造園学会パネル発表
駒瀬氏にとって、現在の拠点である栃木県は単なるビジネスの場を超えた存在だ。かつて幼少期を過ごした東京都港区が開発の手を逃れていた頃に持っていた、豊かな原風景を彷彿とさせる大切な場所である。この地で自然環境を守り育むことは、駒瀬氏にとって「自らの生きる姿勢そのもの」に他ならない。2026年3月に創業30周年という大きな節目を迎えたコマセランドスケーププランニングにおいて、彼は一つの「バトン」を渡そうとしている。人生をかけて集めてきた、アントニオ猪木譲りの「闘魂タオル」だ。
闘魂タオルを手渡す相手は、これまで自分を支えてくれた人々や未来を創る子どもたちである。それは単なる記念品ではなく、自身の半生を投影した小説3部作『百時間にかけた夢、けっして忘れない故郷さん、萌芽林 心はまた芽吹く』を執筆し、次世代へのメッセージを紡いできた彼なりの「バトンの渡し方」だ。
「開発をやめろ」と言うのではない。しかし、生物にも生活圏があるという事実を認め、共生を具体的な設計課題として捉えてほしい」
かつて、行政の都合や社会の無関心、そして経済合理性に抗い、「戦闘モード」で業界の荒波を突き進んできた駒瀬氏。今、彼は「託す人」へと変わろうとしている。理想だけでは成り立たない現実を知り、失速や苦悩も経験してきたからこそ、その言葉には確かな重みがある。学生時代、埋め立て地に過ぎなかったお台場の変貌は、彼にとって忘れがたい原体験だ。人工の渚をつくり、多くの貝を放つ――世話になっていたコンサルタントのプロジェクトを目の当たりにし、人の手による計画が、現状のような豊かな自然環境を創出し得ることに深い感動を覚えた。 重要なのは、人々が連携しながら環境を育み、それを快適で豊かな場所へと昇華させていくこと。駒瀬氏は今もなお、科学と情熱を融合させた「緑の設計図」を掲げ、次世代が歩むべき道を示し続けている。
