直感を信じた道・和菓子作家誕生までの模索と挑戦

Future Leaders

 
     
 
坂本 紫穗

和菓子作家

 

宇都宮市出身。大学卒業後は都内にてIT企業勤務などを経て和菓子の道へ。「印象を和菓子に」をコンセプトに和菓子メーカーや美術館とのコラボレーションイベントにてオーダーメードの和菓子を制作または監修。日本国内だけでなく海外でも和菓子教室やワークショップ・展示・レシピの開発を行い「和菓子作家」として活躍する。

夢中になれる仕事を追い求めて

美術館の企画展などに足を運ぶと、時折季節や展示コンセプトにあわせたお菓子やドリンクを見かける。そういった企画のお菓子の制作・監修をおこなうのが和菓子作家・坂本紫穗さんの仕事だ。それだけでなく、映画『利休にたずねよ』公式タイアップ茶会での和菓子監修や、毎月新作を生み出す「宗家 源吉兆庵(そうけ みなもときっちょうあん)」とのコラボレーション企画など「和菓子作家」として幅広い活動をおこなっている。移ろいゆく四季折々の印象を和菓子に落とし込むセンスとその発想力はどのようにして培われたのか、その活動の足跡をたどる。

「当時のIT業界は急成長する分野で、仲間たちと切磋琢磨し合う日々が楽しかったです。」和菓子のイメージからほど遠いIT業界でのキャリアをスタートさせた坂本さん。20代後半になり仕事に慣れてきた一方で、次第に当時の仕事に全身全霊でコミットできなくなっている自分に気がつく。「仕事は仕事、趣味は趣味と上手に分けられる性格だったら良かったのですが。私はとにかく夢中になれるような、極端に言うと、土日も昼も夜も関係なく取り組めるくらいのテーマが欲しくて。そのヒントを探しに休日をつかって色々な教室に通いました。」と次のステージを模索する日々を過ごす。フランス料理の教室に通ったり、写真学校に行ったり、フードコーディネーターの資格を取得するなど、とにかく気になること全てに取り組んでいた。しかし、比較的和菓子に近そうな日本食にしても自分がその分野で修行を積むようなイメージは湧かなかった。様々なことに挑戦しては、「楽しいけれど、自分が探しているものとは少し違う気がする」と感じる日々だったという。

直感が教えてくれた和菓子の道

転機は突如として訪れる。28歳になる数日前の朝方に和菓子の夢をみたというのだ。「優しい紫色の、桔梗のようなお花の和菓子が出てきて。目が覚めたときに ”和菓子か、いいかもしれない”と思わせてくれた夢でした。」坂本さんの潜在意識が覚醒した瞬間だったのかもしれない。その朝目覚めてすぐにネットで「和菓子作り」と検索し、和菓子作りを体験した。実際に和菓子作りにふれて「これだ!」という直感を得たという。和菓子はその佇まいそのものが小さく控えめて可愛らしいこと、色をキレイに出しやすい(=表現しやすい)こと、素材も豆や米粉といったもので馴染みがあり優しさを感じられること、そして何より歴史があり、すでに素晴らしい和菓子が世に多数あることなど、洗練された和菓子の世界に魅了されていった。

それからは、様々な参考書を買っては自宅で実践を重ねた。「練切の生地にしても、今回はこの配合とこの配合の間の食感になるような生地を作ってみよう!という感じで、日々試行錯誤をおこないました。」そうして3〜4年をかけあらゆる和菓子の素材において独自の配合を作りあげた。その間、和菓子に取り組む時間を確保するために会社員を辞め、フリーランスとして活動。「収入が下がっても、”今まさに、自分の人生を生きている” と思っていました。心にモヤモヤを抱えた状態で会社員をするよりは、小さくても、新しいチャレンジをしようとする自分の方が居心地がよかったのです。」と振り返る。

和菓子

和菓子作家が極まった瞬間があるという。それは ”ひと粒の雨” をお菓子にした坂本さんの代表作『ひとしずく』を創作したときだ。「雨の雫は小さく、目にもとまりません。そもそも雨は少し憂鬱なことが多いです。その雨の一雫を ”私たち生き物を育む恵”と解釈し、感謝と敬意を込めてお菓子として表現しました。」と創作当時の様子を語る。「その時からやっと、”私は和菓子作家をしています” とハッキリと人に言えるようになったような気がします。」代表作『ひとしずく』は、和菓子作家としての坂本さんに自信を与えた。

 

背中を押した母の言葉

和菓子作家としての活動が少しずつ軌道にのるようになった頃、帰郷した実家で坂本さんが「こんなに和菓子に夢中になるのだったら、大学進学や就職もしないで最初から和菓子をやればよかったのかな?」とポツリと言ったことがある。するとすぐに「それは違うと思うわよ。」と母が言葉を返してきた。「あなたの和菓子は、あなたの色んな経験を通して生まれてきたからこそ、見た人が ”素敵だね” と思ってくれているのだろうと、お母さんは思うな。」と。それまで、母には自分の選択を世迷い言くらいに受け止められると思っていた。しかし、事実はそうではなかった。母は常に思うことがあるが言わなかっただけで、母として色々と考え、そして静かに見守っていてくれていたのだ。それを感じた瞬間だった。

「自分が思っている以上に色んな人が見て、応援してくれていると思いました。そこからはより一層、真実を探求していこうと、気持ち的に一段上がって和菓子に向き合えるようになりました。様々な人が少しずつ助けてくれる。そこにこそ感謝せずにはいられないんですよね。」母の言葉をきっかけに、より一層邁進していこうと強く思ったという。

 

白玉の先へ。家庭の和菓子をプロディース

家庭でお菓子作りといえば、なんとなく洋菓子のイメージが先行するだろう。そのうえ、和菓子よりも洋菓子の方が簡単に作れるといったイメージも定着しているように思える。「クッキーやカップケーキを焼くなんてことはあっても、和菓子はあまりイメージがないですよね。白玉団子などでしょうか。そう思うと家庭の和菓子としてもう2〜3個くらい定番のレパートリーがあってもいいのでは?と思いました。」そう言われると確かに、和菓子が特に現代の家庭料理に定着していないのは不思議な気もしてくる。

坂本さんは、2024年の夏に写真家さんのアトリエで「子ども向けの和菓子教室」を開催した。自身も子育て中の母として子ども用の和菓子をつくることはあるが、子ども向けのイベント開催はまだ数える程度だった。子どもたちが自分で材料を混ぜて、好きな色をつけて、丸めて、好きな形にする。「多くの和菓子は水や米、豆、砂糖といったシンプルな素材からできています。また油分も少ないので、後片付けも意外と楽なんですよね。材料をしっかり計って手順を守れば美味しいものがつくれるので、実際にやってみると皆さんが思っているより簡単かもしれません。」と和菓子の魅力とハードルの低さを強調。そう言われると私たちは和菓子作りをしたことがないだけで、勝手に”難しい”というイメージを抱いているように思える。

「今後は、子供が楽しめる和菓子の開発にも力を入れたいです。白玉のほかにも、お家でこんな和菓子が作れますよ、とご紹介したいですね。ご家庭で簡単に作れるように、そしてお子様の体にもより優しいように、レシピや作り方を工夫したいです。」10月からは、『和菓子作家 坂本紫穗の手作りこどもわがし』の連載もスタートした坂本さん。日本の家庭に子どもの笑顔があふれる「優しい和菓子づくり」が広まろうとしている。